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岐阜城に関する雑学!

金華山にそびえ立つ美濃の城

皆さん、こんにちは!

今回は岐阜城に関する雑学をご紹介します!

歴史と文化が交錯する美濃の地、岐阜市

金華山の頂上にそびえる岐阜城は、まさに戦国のロマンを今に伝える遺産です。

この記事では、岐阜城の起源からその構造、そして現代に至るまでの歴史を詳しく探ります。

岐阜城の壮大な物語に触れ、戦国時代の風を感じてみましょう。

 

鎌倉時代の創建

岐阜城の歴史は鎌倉時代にまで遡ります。

建仁元年(1201年)に、二階堂行政稲葉山に築いた砦が岐阜城の始まりとされています。

二階堂行政鎌倉幕府の要職を務めていた人物であり、東海道や中央日本の交通の要所にあたるこの地に城を築くことで、政治的および軍事的な拠点を確保しました。

 

南北朝時代

その後、南北朝時代(1336年~1392年)に岐阜城の重要性が増しました。

この時期、美濃の国を支配した土岐氏岐阜城を本拠地としました。

土岐氏南朝方の有力な武将として活躍し、岐阜城南北朝の動乱期における重要な拠点となりました。

 

斎藤道三の登場

戦国時代に入り、岐阜城斎藤道三の手に渡ります。

道三は元々油売りの商人でしたが、軍事的才能と策略で出世し、最終的には美濃の国主となりました。

斎藤道三稲葉山城を大規模に改修し、現在の岐阜城の基礎を築きました。

 

斎藤道三の治世

道三は巧妙な政治手腕と策略で、美濃国を統治しました。

彼の時代には、城の防御力が強化されただけでなく、城下町も整備されました。

彼の政略結婚策や戦術は「マムシの道三」として広く知られ、岐阜城はその活動の中心となりました。

 

織田信長の時代

永禄10年(1567年)、尾張国戦国大名である織田信長が美濃を攻略し、稲葉山城を手中に収めました。

この時、信長は城の名を岐阜城に改め、「天下布武」(天下統一)を掲げる拠点としました。

その後、信長は岐阜城を大規模に改修し、堅固な要塞としました。

石垣の構築、天守の建設、城内の諸施設の整備などが行われ、岐阜城は戦国時代の一大拠点としての役割を
果たしました。

また、信長は岐阜城下において「楽市・楽座」の政策を実施し、経済発展を促進しました。

この政策により、岐阜は商業都市としても大いに繁栄しました。

 

関ヶ原の戦いとその後

関ヶ原の戦い(1600年)の後、岐阜城徳川家康の命令で廃城となりました。

城の多くの部分は取り壊され、資材は他の城や建物に転用されました。

江戸時代には岐阜城の遺構が残るのみとなりましたが、金華山の頂上に立つ城址は地元の人々や旅人の間で有名な名所となり続けました。

城の跡地は歴史の記憶として重要な存在となりました。

 

近代と観光地化

昭和時代に入り、岐阜城は再建され、昭和31年(1956年)に現在の天守が復元されました。

再建された天守は歴史資料館として一般公開され、岐阜城の歴史や戦国時代の文化について学ぶことができます。

金華山ロープウェーの設置により、観光客のアクセスも容易になり、現在では岐阜市を代表する観光地となっています。

 

岐阜城の構造

岐阜城金華山(標高329m)の頂上に位置し、その戦略的な立地と堅固な構造で知られています。

岐阜城の構造は、戦国時代の城郭建築の典型的な要素を備えています。

天守(本丸)

現在の岐阜城天守は昭和31年(1956年)に再建されたもので、三重四階建てです。

天守金華山の頂上にあり、城全体の中枢を成します。

天守内部は歴史資料館として一般公開されており、織田信長岐阜城の歴史に関する資料が展示されています。

天守からの眺望は素晴らしく、岐阜市内や美濃平野を一望することができます。

 

本丸

本丸は天守がある区域で、岐阜城の最も重要な部分です。

このエリアには、かつて城主の居住スペースや重要な施設が集まっていました。

 

二の丸

二の丸は本丸を囲む区域で、ここには家臣の居住区域や軍事施設が配置されていました。

戦時には防御の要として機能しました。

 

三の丸

三の丸は二の丸の外側に位置し、防御のための緩衝地帯としての役割を果たしていました。

また、ここには城下町や兵士の訓練場がありました。

 

石垣

岐阜城の石垣は堅固で、金華山の自然の地形を巧みに利用して築かれています。

これにより、敵の侵入を防ぎやすくなっています。

石垣は巨石を用いた高石垣が特徴で、攻め手に対する防御力を高めています。

 

金華山自体が天然の要害となっており、深い谷や急斜面が堀の役割を果たしています。

これにより、城は一層防御力を増しています。

 

城門

岐阜城にはいくつかの城門があり、それぞれが堅固な構造で敵の侵入を防いでいました。

城門は石垣や堀と連携し、防御の要となっています。

 

櫓(やぐら)

岐阜城には複数の櫓(やぐら)が設置されており、見張りや防衛のために使用されました。

これらの櫓からは城の周囲を広範囲に見渡すことができます。


茶室や庭園

織田信長は文化人としても知られており、城内には茶室や庭園が整備されていたとされています。

これにより、城は単なる軍事施設ではなく、文化的な拠点としても機能しました。

 

神社や仏閣

城内には信仰の場として神社や仏閣も設けられていました。

これらは城主や家臣の信仰生活を支える重要な施設でした。

 

金華山ロープウェー

金華山の頂上にある岐阜城へは、金華山ロープウェーを利用して簡単にアクセスすることができます。

このロープウェーは景観が素晴らしく、岐阜市の街並みを一望することができます。

 

お城祭り

毎年、岐阜城周辺では「ぎふ信長まつり」が開催され、多くの人々が訪れます。

この祭りでは、織田信長の武者行列やさまざまなイベントが行われ、歴史と文化を楽しむことができます。

 

おわりに

岐阜城の起源と構造についての詳細な紹介を通じて、この歴史的な名城の魅力をより深く理解できることでしょう。

訪れる際には、城の歴史や文化、そして美しい景観を存分に楽しんでください。

 

以上となります!お読み頂きありがとうございました!

こんな雑学が知りたい!などリクエストがありましたら、是非コメント欄にお寄せください!