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松本城に関する雑学!

信濃の国に築かれた城とその歴史

皆さん、こんにちは!

今回は松本城に関する雑学をご紹介します!

日本の歴史と文化を象徴する美しい城の一つに松本城があります。

その魅力は、現代に至るまでの豊かな歴史だけでなく、防御の工夫や四季折々の景観など数多くの見どころにあります。

この記事では、松本城の歴史を辿りつつ、知っておくと訪問がさらに楽しくなる雑学をご紹介します。

 

松本城に築かれた歴史

戦国時代

1504年に松本城の前身である深志城(ふかしじょう)が築かれました。

深志城は戦国大名の武田氏によって築かれ、甲斐武田氏の支城として機能しました。

深志城の設立は、信濃の防衛の一環として重要な役割を果たしていました。

 

安土桃山時代

1590年、豊臣秀吉の天下統一に伴い、関東地方の支配者が変わり、徳川家康の家臣である石川数正松本城の城主となりました。

石川数正は深志城を大規模に改築し、現在の松本城の基礎を築きました。

この改築は秀吉の命令によるものであり、城の防御機能を強化するためのものでした。

その後、1593年に数正の子である石川康長が天守の建設を始め、1603年に完成しました。

この天守は現存する日本最古の五重六階の木造天守として、知られています。

石川康長は天守を築く際に、防御と象徴性の両方を重視しました。

この時期に松本城は「深志城」から「松本城」へと名前を変えました。

 

江戸時代

1614年に松平直政松本城の城主となり、以後、松平氏や堀田氏など多くの大名が城主を務めました。

松平直政徳川家康の信頼を受け、城の防御機能をさらに強化しました。

1633年には、仙台藩伊達氏から石高を減らされて転封された松平直政が松本藩主として再び城主に就任し、
松本藩は明治維新まで続きました。

松本藩は経済的にも文化的にも発展し、城下町として栄えました。

 

明治時代

1871年松本城廃藩置県により政府の所有となりました。

城は一部解体され、残った建物も売却されるなどしましたが、市民の熱心な保護活動により、天守など主要な建物は保存されました。

特に地元の篤志家である市川春次郎の尽力が大きかったと言われています。

1903年松本城は国の史跡に指定され、保護されることとなりました。

これにより、城の保存と修復が進められました。

 

昭和時代

1952年になり、松本城天守は国宝に指定されました。

これにより、さらなる保存と修復が進められました。

国宝指定は、城の歴史的価値と美術的価値を認めるものであり、多くの文化財保護運動の成果として、
評価されました。

1955年に大規模な修復工事が行われ、現在のような美しい姿が蘇りました。

修復工事は、当時の技術を駆使して行われ、できる限り原形を保つように努められました。

 

平成時代から現代まで

1990年に松本市は「松本城管理事務所」を設置し、城の保存と管理を一層強化しました。

これにより、城の保存状態がさらに向上し、多くの観光客が訪れるようになりました。

2011年には松本城天守は築城400周年を迎え、記念行事やイベントが行われました。

これを機に、松本城の歴史と文化を再評価する動きが広がりました。

 

烏城の由来

松本城は、別名「烏城(からすじょう)」とも呼ばれています。

この名前は城の外壁が黒く塗られているため、夜になるとカラスのように見えることに由来します。

黒い外壁は、防御のために目立たないようにする効果もありました。

 

松本城の特徴的な構造

天守の高さ

松本城天守は日本に現存する12の天守の中でも屈指の高さを誇ります。

天守の高さは約30mで、五重六階の構造が特徴です。

この高さからの景観は素晴らしく、松本市内を一望することができます。

 

天守の傾き

松本城天守は、実はわずかに傾いています。これは築城当時の地盤の影響とされています。

しかし、この傾きは天守の構造的安定性に影響を与えない程度のものであり、城の歴史的な一部として保存
されています。

 

現在の天守の内部

現在の松本城天守の内部は、当時の生活や戦の様子を伝える展示物が充実しています。

武器や防具、当時の絵図や文書など、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を学ぶことができます。

 

防御の工夫

松本城には多くの防御機能が備わっています。

例えば、狭間(さま)と呼ばれる銃眼や矢狭間が多数設けられており、城を攻撃する敵に対して効果的に反撃できるようになっています。

また、天守の各階には急な階段が設置されており、侵入者の動きを妨げる工夫がされています。

 

幻の地下室

松本城にはかつて「地下室」が存在すると伝えられていましたが、実際には存在しません。

この誤解は城の構造が複雑であるため、地下室があると信じられていたことに由来します。

 

修復と保存

松本城は明治時代に一部が解体される危機に瀕しましたが、市民の努力と寄付により保存されました。

その後、昭和時代に大規模な修復工事が行われ、現在の美しい姿が蘇りました。

特に1950年代から1960年代にかけての修復工事は、国宝にふさわしい精密な作業が行われました。

 

雪の松本城

松本城は四季折々の景観が楽しむことができます。特に冬の雪景色が美しいことで知られています。

雪に覆われた松本城は一層幻想的な雰囲気を醸し出し、多くの写真愛好家や観光客が訪れます。

 

松本城の祭りの開催

松本城では毎年、「国宝松本城太鼓祭り」や「国宝松本城氷彫フェスティバル」などのイベントがあります。

これらのイベントでは、伝統的な太鼓演奏や氷彫刻の展示が行われ、地元住民や観光客が楽しみます。

 

おわりに

松本城はその美しい外観と豊かな歴史から多くの人々に愛されています。

訪れる際には、これらの雑学を参考にしながら城を巡ることで、より深く松本城の魅力を感じることができるでしょう。

 

以上となります!お読み頂きありがとうございました!

こんな雑学が知りたい!などリクエストがありましたら、是非コメント欄にお寄せください!