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ジャンヌ・ダルクに関する雑学!

「無実の乙女」の名を持つ英雄

Wikipediaより

皆さん、こんにちは!

今回はジャンヌ・ダルクに関する雑学をご紹介します!

ジャンヌ・ダルクは、15世紀フランスの百年戦争において重要な役割を果たした、フランスの国民的英雄
であり、カトリック教会の聖人でもあります。

彼女はフランスの運命を変える象徴的な存在として称えられており、その生涯、偉業、そして知られざる
エピソードに至るまで、魅力に満ちています。

 

ジャンヌ・ダルクの生涯

誕生と幼少期

ジャンヌ・ダルクは、1412年頃にフランス東部の小さな村ドンレミーに、農家の家庭に生まれました。

幼い頃から信仰心が深く、キリスト教の教えに強く感化されていました。

天啓を受ける

17歳の頃、ジャンヌは聖カトリーヌや聖ミカエルらの声を聞き、「フランス王国を救え」という神の使命を
受けたと語っています。

この天啓が彼女の運命を大きく変え、国を救うための旅に彼女を駆り立てました。

ドーフィン(王太子)シャルルの元へ

当時、フランスはイングランドとの百年戦争で劣勢にあり、王太子シャルル(後のシャルル7世)も苦境に
立たされていました。

ジャンヌは兵士や武装した農民たちと共にシャルルの元へ行き、彼の信頼を得ることに成功しました。

彼女の言葉や信仰心に感銘を受けたシャルルは、ジャンヌに軍隊を託すことを決めます。

オルレアン解放戦

ジャンヌの最初の大きな戦いは、1429年のオルレアンの戦いです。

イングランド軍に包囲されていたオルレアンをジャンヌの軍が解放したことで、フランス軍の士気は一気に
上がりました。

この勝利によって、フランス王国の再興への希望が見えたのです。

ランスでの戴冠式

オルレアン解放後、ジャンヌはシャルルをランスへ連れて行き、正式にフランス王として戴冠させました。

この戴冠式は、フランス国民にとってフランスの正統性と独立を象徴する重要な出来事であり、ジャンヌの
偉業として語り継がれています。

捕らえられ処刑される

しかし、1430年、ジャンヌはブルゴーニュ公国軍に捕らえられ、イングランドに引き渡されました。

1431年、異端審問によって魔女や異端者としての罪を問われ、ルーアンで火刑に処されます。

わずか19歳で命を落としましたが、彼女の死後もその信仰と行動は人々の心に残り、彼女の名声は不滅と
なります。

 

ジャンヌ・ダルクの偉業

フランス軍の士気を大いに高めた

ジャンヌは、戦争の行方を変える大きな役割を果たし、兵士たちの士気を大いに高めました。

オルレアン解放戦をはじめとするいくつかの戦闘でフランス軍を勝利へ導き、フランス再建の希望をもたらしました。

シャルル7世の戴冠を実現

王太子シャルルをランスへ導き、正式にフランス王として戴冠させたことは、フランスの王権を正当化し、
国民に自信と一体感を与えるきっかけとなりました。

フランスの独立の象徴

ジャンヌは、フランス独立の象徴として崇められるようになり、その精神は長く受け継がれました。

彼女は、個人の信念と愛国心によって大きな成果を達成した人物として、フランスの人々にとって非常に重要な存在です。

 

処刑後の名誉回復

ジャンヌは、1431年に異端の罪で火刑に処されましたが、フランス国民の間ではすぐに「祖国の英雄」として再評価されるようになりました。

ジャンヌを異端と断じた裁判は、イングランド支配下で行われ、政治的な思惑が絡んでいたためです。

シャルル7世がフランス全土の王として承認されると、ジャンヌの裁判を不当として再審請求が行われました。

1456年には、教皇カリストゥス3世によってジャンヌの名誉回復が正式に認められました。

この裁判の再審では、ジャンヌを弁護する証言が数多く集められ、彼女が無実であったこと、そしてフランスの自由と独立のために戦ったことが改めて証明されました。

再審後、ジャンヌは「無実の乙女」としてフランス人の心に深く刻まれ、今でも国民の英雄として称えられています。

 

聖女としての列聖

ジャンヌは1920年カトリック教会によって正式に「聖人」として列聖されました。

これは、彼女の生き様がフランス国内だけでなく、世界中のカトリック信者にとって模範的なものであった
ことを示しています。

カトリック教会における聖人としてのジャンヌは、信仰と使命のために自らを捧げた姿、そして国を救おうとする彼女の決意が高く評価されています。

ジャンヌ・ダルクの日(5月30日)はフランスでは彼女を称える祝日として設定され、毎年この日には各地で彼女への敬意を表す行事が行われます。

フランスの多くの教会や聖堂にジャンヌの像が立ち、彼女が神とともに歩んだ道のりを人々に思い起こさせています。

 

象徴的な存在

ジャンヌ・ダルクは、フランス革命(1789年-1799年)やナポレオン時代、さらには第二次世界大戦中にも「フランスの誇りと勇気」の象徴として用いられました。

ジャンヌの「国家のために戦った乙女」というイメージは、フランス人にとって深い愛国心や自己犠牲の精神を示すものでした。

例えば、フランス革命の際には彼女が農民出身であったことが注目され、民衆の象徴的存在として捉えられ
ました。

また、ナチス・ドイツの占領下でフランスがレジスタンス運動を展開した際には、ジャンヌの精神が独立を
求める象徴として再び強調されました。

彼女の存在は、フランスの歴史の中で繰り返し蘇り、フランスの魂そのものとして人々にインスピレーションを与え続けています。

 

「乙女」の称号

ジャンヌは「オルレアンの乙女」として知られています。

ここでの「乙女」という称号は、彼女の純潔さと神への献身を象徴しています。

彼女が生涯を通じて純潔を守ったことや、自分の人生を神のために捧げたことは、ジャンヌが神聖な使命を
帯びていたことを強調するものとされています。

ジャンヌは神の使命に忠実であり続けたため、この称号が人々に神聖な存在として受け入れられる基盤となりました。

また、女性であることが軽視されがちな中世ヨーロッパにおいて、「乙女」でありながらも戦士としての役割を果たしたことは、当時の社会における女性の役割を覆す意味も持っていました。

 

おわりに

ジャンヌ・ダルクは、当時の社会や宗教的背景を超えて、一人の若き女性が国と民のために身を捧げた英雄的存在として歴史に名を残しています。

その信念と行動は、現代においてもフランス文化や世界の歴史の一部として語り継がれ、敬愛されています。

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

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