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ベルリンの壁に関する雑学!

冷戦時代を象徴する高き壁

皆さん、こんにちは!

今回はベルリンの壁に関する雑学をご紹介します!

ベルリンの壁は、冷戦時代の象徴として歴史に刻まれています。

1961~1989年まで存在したこの壁は、東ドイツ政府によって建設され、多くの人々の生活に大きな影響を
与えました。

以下では、ベルリンの壁の建設背景から崩壊までの歴史を詳しく見ていきます。

 

突然の建設

ベルリンの壁は1961年8月13日に突然建設が始まりました。

これは東ドイツ政府の厳重な計画と秘密のもとで行われました。

建設の目的は、西ベルリンへの大量の逃亡を防ぐためでした。

戦後、ドイツは東西に分断され、東ドイツの市民は経済的自由や政治的自由を求めて西ベルリンに逃亡する
ことが多かったのです。

東ドイツ政府はこの人口流出を防ぐため、突如として壁の建設を開始しました。

 

壁の全長

ベルリンの壁の全長は約155kmに及びました。

壁はベルリン市内を分断するだけでなく、周辺地域を取り囲む形でも設置されました。

ベルリン市内の壁は約43km、周囲の壁は約112kmに達しました。

 

多層構造

ベルリンの壁は単なるコンクリートの壁ではなく、複雑な多層構造を持っていました。

前面には監視塔があり、東ドイツの警備兵が常時監視していました。

照明も整備されており、夜間でも逃亡者を見逃さないようにしていました。

鉄条網や地雷原も設置されており、これらの障害物を越えることは非常に危険でした。

 

逃亡者

ベルリンの壁が建設されてから1989年の崩壊までに、約5,000人が壁を越えて逃亡に成功しました。

多くの人々は地下トンネルを掘ったり、偽造文書を使ったりして西ベルリンに渡りました。

しかし、少なくとも140人以上が逃亡を試みて命を落としました。

彼らの多くは東ドイツの警備兵に撃たれました。

 

最初の犠牲者

ベルリンの壁での最初の犠牲者は、18歳のペーター・フェヒター(Peter Fechter)でした。

彼は1962年8月17日に逃亡を試みましたが、東ドイツの警備兵に撃たれ、壁の側で出血多量で死亡しました。

彼の死は国際的な注目を集め、東ドイツ政府への批判が高まりました。

 

崩壊の始まり

ベルリンの壁の崩壊は、1989年11月9日に突然始まりました。

この日は、東ドイツ政府が市民が西ベルリンへの旅行を自由にできると発表した日でした。

この発表は誤解を招き、数千人の市民が壁の検問所に集まりました。

圧力に耐えかねた警備兵たちは、ついに壁を開放することを決定し、人々は自由に西ベルリンに行くことが
できるようになりました。

これがベルリンの壁の崩壊の始まりでした。

 

ベルリンの壁の記念碑

現在もベルリンの壁の一部は記念碑として保存されており、壁の一部を見学できる場所も多くあります。

特に有名なのはイーストサイドギャラリーで、ここにはアーティストによる壁画が描かれています。

イーストサイドギャラリーは約1.3kmにわたり、国際的なアーティストによる100以上の壁画が展示されて
います。

 

おわりに

ベルリンの壁は冷戦時代の象徴として、そして自由と平和の象徴として、多くの人々に語り継がれています。

この壁の歴史を振り返ることで、自由と平和の価値を再認識することができるでしょう。

 

以上となります!お読み頂きありがとうございました!

こんな雑学が知りたい!などリクエストがありましたら、是非コメント欄にお寄せください!